小さなリスクばかり見ていると、大きなリスクを見逃してしまう。
「好き」の反対が無関心だとしても、無関心の反対は「好き」ではない。
相手の考えには切り込むように、気持ちには包み込むように返したい。
自分にとっては本質的なことが他人にとっては枝葉末節なこともある。
自信を持って言えないことが新しいこと。
正直な気持ちでできないことは仕事にしないほうがいい。
相手がいないと生まれない言葉もある。
何か新しいことをするときは最初に面白そうと思ってみる。面倒くさそうと思って始めるのとは結果が違う気がする。
頑張るの反対は諦める。諦めの気持ちが足りないと体を壊すまで頑張ってしまう。ときには諦めも大事。
気持ちが嫌がることを続けるのは、体が痛い姿勢を続けるのと同じだな。
情報過多の時代では情報を網羅的にかき集めるのではなく、たまたま出会った少ない情報と深く付き合ったほうが楽しい。
自分が弱くなると人の世話を焼きたくなることがある。人の世話を焼くことで自分が強くなったような気になるからかもしれない。変な錯覚に陥らないようにしたい。
合理的に解決すべき問題と共感することで消えていく問題を混同しないようにしたい。
成功ではなく幸福を目指したい。
中から見た景色と外から見た景色は全く違う。中と外の両方から見ないと何もわからない。
共感と同意は座標軸が違う。
いいものを見ると自然に悪いものがわかるようになる。いいものをたくさん見ると悪いものがたくさん目につくようになってしまうが、悪いものの中にある良い部分を見つけられる観察力を鍛えたい。
決断力がなくて保留するのと、結論に飛びつきたい気持ちを抑えて勇気を持って保留するのは全く違うな。
様式とは手段を目的化したものかもしれない。
よく考えるためには何も考えない時間が必要。
心はいつも旅人のようでありたい。
保護されれば弱くなる。頼られれば強くなる。
直球で勝負したいのなら、正確なコントロールが必要だ。暴投を繰り返すのを直球勝負とは言わない。
自分の考えを言うのは簡単。自分の考えを伝えるのは難しい。それみたことかと言ったら何も伝わらない。
斜に構える人より、真に受ける人のほうがいい。
開き直っても全力は出ない。素直な気持ちの時が一番強い。
あえて機能をつけないとか、あえて余白を多めに取るといった、無いことの価値を理解できるのがプロだと思う。詰め込んでいるうちは一人前とは言えない。
ちゃんと調べて考えた上で期待したことは、たとえうまくいかなくてもガッカリはしない。ガッカリするのは思い込みのあてが外れたとき。
人は自然の一部だ。人の行動も自然の一部だ。
愛の反対が無関心であっても、関心を持つことが愛とは限らない。人も組織も少し放っておいて欲しいときもあると思う。