コミュニケーションの観点では、論破は敗北である。
ねこが丸顔に見えるのは、毛がフサフサしてるからなのかな。
「正しい」や「間違い」の定義が揺れている領域では、断定的なことは言えない。誰かの権威を借りるのではなく、自分の考えで話すしかない。
自分の仕事に集中したいという人は誰かに支配されやすい。
なかなか売れないのは相手が欲しいものを作っていないから。なかなか作れないのは自分が作りたいものを作っていないから。
気が合っても縁が無い人がいる。縁があると無理をしなくてもうまくいく。縁がないと何も始まらない。縁を大切にしたい。
好きな食べ物だけ並べてもあまりおいしいと思えない。好きなものだけに囲まれてもあまり幸せに感じない。そんなもんじゃないかな。
爪を立てただけで傷つく漆塗りの道具が、大切に扱えば100年以上も輝きを失わない。人も同じだと思う。
当たり前のことだけど、大切なものを大切にすることをいつも忘れないようにしたい。
社会は困っている人だらけだ。誰も手をつけていない仕事は山のようにある。仕事をしよう。
大人の事情と言っているうちは、まだたいして大人じゃない。
ノートを綺麗にとるとか、会議を効率良くするとか、データを参照しやすく整理するとか、悪いことではないが、すべて末端の手段に過ぎない。目的が小さいと関心が手段に移る。
困っている人をずっと助け続けたり、人をずっと喜ばせ続ける構造を考えて実行することを、仕事を作ると言う。お金の流れが大切なのは、貯金を使ったのではずっと続けられないから。
経験から学ばないのも、経験からしか学ばないのも同じように危ない。
コミュニケーションのためだけでなく、ちゃんと考えるためにも言葉を使う力は大切だと思う。
できると思っていることをやるのはチャレンジではない。チャレンジは無理だよなと思う心への挑戦だ。
ちゃんと考えて作ったものは改良すべきポイントも明確になる。あまり考えずに作ったものは改良点もよくわからない。
面白いものを見つけるより、面白いものを作る方がはるかに面白い。
やりたいことがあれば、まわりに言いふらせばいい。見た目ではわからないが、幸運の女神はその辺にうろついていることもある。
あなたは私に見えないものが見える。私はあなたが気づかないものに気づく。違いがあることを理解すると面白くなる。
下手でもいいからまわりの人の仕事をまねしてみる。実際にやってみると、何でもないと思っていた人をすごく尊敬してしまうことがある。
作ったものには作り手の過去の生き方が反映する。よい作品を作るには、よい生き方が必要だ。
終始一貫しているということは、進歩がないということでもある。
感謝しない人はどんなに正しいことを言っても孤立する。
何かを選択するときに「人と同じはイヤだから」というのは十分に大きな理由だ。
敵と味方で分類していくと、いつか全部敵になる。
着ているものは着ている人によって高くも安くも見える。
本物の虎の巻を見たことはないが「自分で考えろ」と書いてあるような気がする。
痛快の裏では誰かが痛みを感じている。
古いというのは時間の問題ではなく、間違ったことを続けていることだ。